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連載<未完の国産旅客機 MJの本質> イントロダクション

2022年4月26日 13:00(2022年4月27日 11:30 更新)
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 三菱重工業が日本初の国産ジェット旅客機開発を凍結して、1年半が過ぎた。開発に携わった人々の視点から、当時の現場で何が起きていたのかを探る。

 航空機の名称は「MRJ」から「SJ(スペースジェット)」へと変わった。だが、開発当初から変わっていないのが、航空機の「戸籍」として機体ごとに付与される登録記号に含まれたアルファベット「MJ」の2文字。「三菱ジェット」の頭文字であり、プロジェクトの象徴だ。その本質に迫る。


 国産ジェット旅客機の開発構想が動き出したのは、戦後初の国産旅客機「YS11」が初飛行してから41年後の2003年。経済産業省が小型機計画の開発主体に三菱重工業を選び、当初は「MJ(三菱ジェット)」との呼び名で30~50席の機体開発を目指した。

 構想を具体化する中で、北米やアジアの地域路線での需要増を見込み、座席数を70~90席に変更。08年3月に全日本空輸から世界初の25機の発注があり、「MRJ」の名称で事業化が決定。三菱重工子会社の三菱航空機が設計を担い、90席級の初号機の納入は13年後半を予定した。

 空気抵抗を小さくする機体設計と効率を高めた米社製の新型エンジンを採用し、燃費性能は従来のライバル機に比べて2割向上。広い客室スペースを売りに、国内外航空会社などから最大447機(現在は287機)を受注した。

 だが、設計の変更と商用化に必要な「型式証明」の取得遅れなどで開発は困難を極め、初号機の納入は6度も延期。国費500億円を含む約1兆円の開発費を費やしたが、三菱重工は新型コロナウイルス禍で機体需要が見通せないとして20年10月に「いったん立ち止まる」と3年間の開発中断を発表。現在も再開の見通しは立っていない。

(1)幕切れ

 ロッカーに残っていた作業着を手に取ると、そのままごみ箱に放り投げた。空のように真っ青な作業着。左胸に三菱重工業(東京)のシンボルマーク「スリーダイヤ」が赤い糸で縫い取られていた。持ち帰らなかったのは、会社人生にきっぱりと別れを告げたかったからかもしれない…【続きはこちらから→ ※無料公開

(2)烏合の衆

 照明を落とした工場に地面を揺らすような和太鼓の音が鳴り響いた。笛の音も続く。扉が開くと、青空を背景に、日光を浴びた国産ジェット旅客機「三菱リージョナルジェット(MRJ、現スペースジェット)」が姿を現した。横向きの機体が正面を向くと、スッとした前面が、歌舞伎役者の面構えのようだ…【続きはこちらから→

(3)一筋の光

 尾翼に「MRJ」と大書された機体がふわりと浮き上がり、青く広がる空に上昇していく。2015年11月11日、待ちに待った「三菱リージョナルジェット(MRJ、現スペースジェット)」の初飛行だ。大勢のファンたちが歓声を上げ、三菱重工業(東京)や三菱航空機(愛知県豊山町)の幹部らもハイタッチや握手で喜び、跳び上がった…【続きはこちらから→

(4)高い壁

 「われわれの想定に甘いところがあった」 愛知県春日井市の会見場は重苦しい雰囲気に包まれていた。日本中が沸き立ったMRJ(三菱リージョナルジェット、現スペースジェット)の初飛行から6週間後の2015年暮れ…【続きはこちらから→

(5)不協和音

 昼時の空港の一角は、ランチを楽しむ外国人たちでにぎわっていた。カフェでコーヒーを片手にゆったりと一休みする姿もある。観光客ではない…【続きはこちらから→

(6)旧態依然

 三菱重工業(東京)の本社会議室。社長(当時)の宮永俊一や役員、グループのシンクタンクの幹部ら20人ほどが集まり、MRJ(三菱リージョナルジェット、現スペースジェット)開発の進展などについて話し合っていた ...【続きはこちらから→

(7)新たな夢

 映画「スターウォーズ」の一場面のような光景だった。ふわりと宙に浮いた「クルマ」が、大空を悠々と駆け抜けていく。2019年10月、山口県下関市で開かれたシンポジウム…【続きはこちらから→

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