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第1部(1)大空襲…名古屋店「落城」 当直の夜すべて失った【よみがえる松坂屋】

2012年8月28日 05:00
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空襲に遭って煙に包まれる松坂屋名古屋店(左側の白い建物)=1945年3月、名古屋市内で(J・フロントリテイリング史料館提供)

空襲に遭って煙に包まれる松坂屋名古屋店(左側の白い建物)=1945年3月、名古屋市内で(J・フロントリテイリング史料館提供)

 「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」。トヨタグループの創始者、豊田佐吉翁の言葉通り、中部地方には常に時代の先を見つめ、新事業に挑戦する企業が多く栄えてきた。自動車を中心としたものづくり産業、繊維や醸造などの老舗企業が、太平洋戦争の惨禍からいかに立ち上がり、繁栄し、あるいは衰えていったのか。戦後中部財界の歩みを長期連載で振り返る。第1部では、名古屋大空襲の被災から市民とともに立ち直った松坂屋の原点を探る。

 太平洋上に数梯団(ていだん)のB29の編隊が北上中-。

 午前2時の静寂を破って、ラジオがけたたましい警戒放送を流し始めた。夕方から同僚らと当直に待機していた松坂屋名古屋店経理部長の斉藤晴雄(故人)の緊張感は一気に高まった。

 「中部地区へ侵入のもよう」「後に続々と数梯団続いている」。ラジオからはアナウンサーの叫び声が続く。

 斉藤はこの夜の様子を、終戦から16年後の社内報に寄稿している。

 ラジオ放送の直後に空襲警報が発令され、南の方から、ダンダンと砲撃の音が響く。B29大編隊は、熱田神宮上空を経て名古屋店周辺にも爆弾と焼夷(しょうい)弾をまき散らし、街は火の海となった。大型爆弾の衝撃が名古屋店の床を揺らし、500メートル北にある栄町店は多数の直撃弾を受けて燃えだした。

 1945(昭和20)年3月19日。名古屋駅も炎上した名古屋大空襲の2回目は、こうして始まった。

 松坂屋には事前に、警察官からの「極秘情報」が寄せられていた。「内密だが今夜、有力な敵部隊が名古屋の中心部を空襲する」。屋外に山積みしていた配給品の鍋や釜などを店員総出で店内へ。夜間の当直を五十数人に増やし、屋上や各階でバケツの水を抱えて身構えていた。

 だが、実際には日本上空の制空権を完全に握った米軍が、空襲を予告するほど余裕があったとされる。当直の増員程度で攻撃を防ぐのは無理だった。

 当時の名古屋店は7階建てで、名古屋市中心部の南大津(現中区栄)、今の松坂屋名古屋店と同じ位置にあった。戦時体制で4階の一部と5階から上を三菱重工業などに軍需工場として提供し、エレベーターの昇降かごやエスカレーターの階段部分は、金属として国に供出していた。

 午前3時すぎ、名古屋店本館南に爆弾が落ちる。松坂屋の「新版店史概要」によると、爆風で軍需工場に派遣していた従業員3人と町内防衛係3人が死亡。道路に面した窓ガラスの大半が割れ、飛び火が東からも店内に迫った。

 「延焼を防げ」。斉藤は必死だった。4階の軍需工場で仲間と窓のカーテンを切り離し、窓際にあった飛行服の山を中央へ。得意客をもてなす貴賓室に火の手が迫る。「雨のようにそそいでくる」火の粉を、斉藤らは全身で払いのけた。

 5階からはゴウゴウと空気が震える音が立つ。「火が入った、火が入った」「退避、退避」と叫び声が上がった。かごを供出して空洞になっているエレベーターが煙突の役目をし、爆発音とともに火は上下へ燃え広がった。

 夜が明け、皆の顔は煙と灰で真っ黒。外ではすべてが焼け落ち、ポツンと立つ電話局の建物が目に映った。

 25年の名古屋店完成を機に前身の「いとう呉服店」から「松坂屋」に商号を変えた。本社機能も併せ持った名古屋店は、完成から20年で焼け落ちた。

 松坂屋の歴史に詳しいJ・フロントリテイリング史料館の菊池満雄さん(62)は「戦時体制で売り物もなくなる中、空襲に見舞われ、それまでの勢いをそがれた。組織として骨組みを固める前に壊されたような状況だ」とみている。

 「力は尽きた。落城という文字そのものだ」。斉藤は寄稿の中で、すべてを失った無力感をつづった。(文中敬称略)

松坂屋

織田信長の家臣だった伊藤蘭丸祐道(すけみち)が1611(慶長16)年、源左衛門と名前を変えて清洲から名古屋に移り、呉服小間物問屋を創業した。1736(元文元)年小売業に転じ、68(明和5)年東京・上野の松坂屋を買収。1910(明治43)年、会社組織の前身となる株式会社「いとう呉服店」を設立、名古屋・栄で百貨店を初めて開業した。25(大正14)年、名古屋店を現在地に移し、全店の商号を「松坂屋」に統一。名古屋を代表する百貨店となった。2007(平成19)年、大丸と経営統合し、持ち株会社J・フロントリテイリングを発足。10年、連結子会社合併で大丸松坂屋百貨店を設立した。現在の松坂屋は、戦前から続く名古屋、静岡、上野、銀座の4店と、戦後に開設した豊田、高槻の2店の計6店。

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